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ここの観音さまの起こりは、役の行者が開いたことに始まります。馬頭観世音が安置されていましたが、伊達政宗がこの地に兵を進めた際、会津芦名の兵が持ち去ってしまいました。その夜観世音がこの大岩にあらわれたのです。以来抱付観音と呼ばれています。